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起業レポート - 八丸 由紀子 美馬森japan

八丸 由紀子

正式名称
美馬森japan
企業形態
一般社団法人

起業の動機

石巻湾の海岸線を東隣の石巻市と二分する宮城県東松島市。海抜のない平地が広いため津波の被害が広範囲にわたり、1100人以上の方が命を落とし、市内の家屋のじつに76%が全壊または半壊した。  市の西端にある野蒜・東名地区も甚大な被害を受けたが、幸いにもここには裏山があった。海岸から1㎞ほどの距離から東西1400m、南北800mほど、標高50~80mほどの低山が広がっている。震災当日、命を落とさなかった人はみな、この山を登って津波を逃れた。

東松島市は、この森を整地して住宅地を作り、野蒜・東名の人々を高台移転させる計画だ。森はちょうど震災前の野蒜・東名地区が田畑なども含めてすっぽり入る広さ。ただし今持ち上がっているのは、ただ整地して復興公営住宅や住宅地にするだけの計画ではない。住宅とともに、森のなかに馬の牧場を設ける。人と馬か歩く散策道や広場を作り、多くの人が馬に癒されに訪れる「美馬森(みまもり)」を作る計画がか今、始勤しようとしているのだ。

美馬森プロジェクトの中心となるのは、盛岡市で馬の生産や育成、牧場体験サービスなどを行っている八丸牧場の八丸健・由紀子夫妻だ。このプロジェクトを推進しながら牧場を作り、八丸牧場を3年以内に移転する計画だ。

「日本では車の登場とともに馬車か消え、街から馬が消えてしまいました。しかし海外では街の中を馬車が通ってたり、騎馬警官が町を歩いてたりして、景色に馬が溶け込んでいるんです。それも田舎だけじゃなくて大都会にも。それは馬の魅力を知ってるからなんです。馬は単なる乗り物や運搬の力ではない。馬は私たちを癒し、教育もしてくれるんです。」八丸由紀子さんはそう語る。

解決すべき地域の課題

宮城県東松島市美馬森プロジェクトは、東松島市と連携・協力し、地域の若者やシニアを雇用し、住民参加型で馬と一緒に手付かずの森や街の整備を行うことからスタートする。

また、心に傷を抱えた人などに対して、馬との関わりを通じて、心身の回復を目指すホースセラピーも提供する。八丸牧場では、長期休職していた人が1週間ほどの牧場体験を経て職場復帰できたり、10年間引きこもっていた人が2年の牧場生活で社会復帰(就職)するなどの実績がある。ホースセラピーは欧米で広がっており、ドイツやスイスでは保険適応の医療に認定されている。

リーダーシップ教育にも高い効果がある。「大きな馬は1トンほども体重かあります。この大きくて心の繊細な動物と私たちが安全に共同作業をするためには、『このボスなら命を預けても大丈夫』という信用を勝ち取らないといけない。馬は敬意を抱き信頼を寄せるに値すると感じた相手にしか、身を委ねないんですね。私たちの精神のあり方がものすごく鍛えられるんです。威圧的に振舞ったり強制と屈服の関係では、限界かあるんですね。いつも冷静沈着で公正で、厳格でなくちゃいけない。この人と働くことか楽しいと馬に感じてもらえれば、最高のパートナーとして仕事をしてくれます。」

ビジョン

20代の頃、安比高原の乗馬クラブで馬の世話や馬車のガイドをしていた八丸由紀子さん。経営難で乗馬クラブが閉鎖されるとき、大好ぎだった馬車馬が殺処分になりそうだったため、自費で引き取った。馬を知人の牧場に預け、自らもスタッフとして働いた。2000年に健さんと結婚。04年に荒れ果てた農地を開墾し、八丸牧場を作った。05年には、盛岡の市街地で念願だった馬車運行を果たし、愛馬ダイちゃんは人気者になった。 

震災後、三陸や東松島の子どもたちを招待して体験をした。震災で傷ついた子どもたちの心を馬と一緒に元気にしたい。そう思い、今回の事業計画を立てた。

「森から馬が搬出した木を使い、高齢者や介護世帯対応の馬との触れ合い集合住宅を創ったり、地元の子どもを立派なホースマンに育てたり、馬のいる森を観光に結びつけたり、構想はいっぱい。数年で終わるような話じゃない。何世代にもわたって引き継いでいく壮大なプロジェクトなんです。」八丸さんの視線は、東松島の未来を、真っ直ぐに見ている。