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起業レポート - 佐藤 純俊 日本祉会福祉事業協会 JWAディサービスすぎと

佐藤 純俊

正式名称
日本祉会福祉事業協会 JWAディサービスすぎと
企業形態
特定非営利活動法人

起業の動機

「このサービスによって2011年3月に我々富岡町の原発被害者を温かく迎え入れてくれた埼玉県杉戸町、幸手市、宮代町に対するご恩返しになればという思いと、私自身が起業し、原発被害者の方を雇用して、我々も自立したいのです。」佐藤純俊さんは、起業の動機をそう語ります。

約1万5000人が暮らしていた福島県富岡町、福島第二原発から約8㎞の距離に町の中心があり、町全体が立ち入りを厳しく制限されている警戒区域です。現在、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の3区域に再編する計画が進められているが、帰還困難区域と居住制限区域で町の面積の約7割を占め、町に人々が戻る未来は見えない。

杉戸町は震災の半年前に姉妹都市となり、富岡町民を、積極的に受け入れた経緯がありあす。さらに隣接する幸手市、宮代町が協力し、一時は250人の富岡町民か滞在できました。

佐藤さんはかつて福島県の知的障がい者施設の職員として28年働いていました。そのスキルを生かして今、「JWAデイサービスすぎと」を杉戸町に開設予定です。対象は小中学生と未就学の障がい児、障がいの種類は問いません。

「支援学校に通ってる子などを放課後や休日に預かり、養育サービスをする施設です。平日は14時から18時の4時間が基本ですが、延長も考えています。保護者の方は朝、子どもをスクールバスに乗せて学校に送り出せば、我々が下校時に学校に迎えに行って施設で預かり、帰宅時間にご自宅にお送りします。収入に応じて負担率は変わりますが、90%以上は公的補助を受けられます」。

「放課後等デイサービス事業」として2012年4月から児童福祉法で規定された新しい制度。佐藤さんは知的障がい者とその家族を見続けてきた28年の経験から、このサービスの重要さを感じています。

「支援学校は14時頃に終わり、それ以降はずっと保護者が見なければなりません。ですから障がい児のお母さんは、子どもが成長しても、仕事をしたり趣味をしたりなど社会参加がずっとできないです。とくに待ち望んだ第一子に障がい児が生まれた場合には、経済的にも心理的にも負担が大きすぎて、第二子を産むかどうかも苦悩して、お母さんはかなり追い詰められてしまいます。そのうち夫婦の仲が険悪になり、離婚に至るケースも私の経験では多いです。子どもは社会的資産としてみんなで育てるものなのに、障がい児だけは両親に押し付ける社会が、ずっと続いてきたのです。やっとそれが変わる制度ができました」

解決すべき地域の課題

 JWAデイサービスすぎとの定員は10名、それに対し、1名の管理責任者とヘルパー2級以上の取得者が2名以上必要です。社会福祉主事である佐藤さんは管理責任者だが、今、3人の女性と一緒にヘルパー2級取得のカリキュラムを受講しており、3月に取得予定です。

「私はヘルパーの資格は必要ないのですが、他の方が初めてだったので、私が引率してリーダーをしますからみんなで受講しましょうと、私も10年ブランクがあったので勉強になりますし、同じ事を学べば相互の理解も深まりますから、職員の人数は非常勤を含めて7人、常時4人体制を考えています。土日祝日も開業しますから、ワークシェアリングをして無理なく回していきたいです。

「私は期せずして障がい児を持ってしまった家族と、住むところも働くところもコミュニティも一瞬にして奪われた私たちと、心理構造が似ていると感じます。だからお互いが子どもたちを通じて理解を深められると思うし、きっと心を支見合えると思うのです。」

ビジョン

当面は杉戸町と幸手市、宮代町で、年に1~2ヵ所ずつ施設を増やしていく予定です。そこで経営が安定すれば、フランチャイズ形式で広範囲に展開する考えています。社会福祉士や保育士、指導員などで一定期間以上の勤務実績がある人なら、管理責任者として開所できます。

「私は昭和22年生まれの団塊の世代。同年代で定年退職や早期退職された方で、『この意義のある事業なら一緒にやろう』と手を挙げていただける同士か埼玉県内にも相当いると期待しているんですよ。」 第二の人生として社会貢献事業をするというライフスタイルも、提案していきたいです。