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起業レポート - 小向 幹雄 まちづくり・ぐるっとおおつち

小向 幹雄

正式名称
まちづくり・ぐるっとおおつち
企業形態
特定非営利活動法人

起業の動機

大槌の子どもたちのために。大槌のお母さんたちのために。大槌のお年寄りのために。

震災よりもはるか以前から、大槌に生きる人のために行動し続けるNPOがある。「まちづくり・ぐるっとおおつち」は2001年4月、新日鉄釜石を定年退職した小向幹雄さんと同僚や仲間で設立した。「当時は学校が週休二日制になった時で、子どもの大切な時間を無駄にしないようにと、体験教室を始めました。内陸の子どもを海に連れてきて地引網をさせたり、海の子どもを畑に連れていって農業体験教室をしたりね。地域の行事にも参加させます。例えば小正月(1月15日)はお団子を木に吊るして餅花を飾り、豊作を祈る。体験させて伝承するんです。

環境問題にも取り組みました。大槌には一定水温以下の湧き水が豊富に出る場所でしか生息できない淡水型のイトヨ(町指定天然記念物)の生息地がある。この自然環境を大切にしようと、下水を浄化したり、溜池を清掃する活動をしてきましたね。」その活躍は大槌町からも高く評価され、07年からは町営の交流センターの運営を委託される。そこで開館時間を長くし、地元農家の農産物を人々と交流しながら販売する直売所や、地域の工芸作品の展示などを行った。「集会の日にしか人が集まらない施設が、いつも町民で賑わう場所に変わった」という。大槌町の震災は酷いものだった。人口1万5000人ほどの町は、駅、商店街、家々、町役場…15mの津波にすべて飲み込まれ、ボンベに引火して火災が起き、一晩中燃えた。亡くなられた方は1230人。人口に対する割合は8%超で岩手県で最も高く、3分の1以上の方のご遺体が、見つかっていない。ぐるっとおおつちは、当時13人いたメンバーのうち5人が亡くなった。

小向さんは落ち込んで体調を崩したが、避難所を支援していたNPO「パレスチナ子どものキャンペーン」のメンバーから励まされたという。「『こういう時こそ、他からの支援だけでなく、地元のNPOが頑張るべきです。一緒にやりましょう』と力づけを頂いたんです。

解決すべき地域の課題

被災地のNPOだからこそみんなのためにできることがある!

奮い立ったメンバーが最初に行ったのは、お地蔵さんを置くことだった。「多くの家族、知人をなくされた方、心に傷を負った方がたくさんおられる。鎮魂の祈りができて、心のよりどころとなるものがあればいいねという話になった。それなら宗教色をあまり感じないお地蔵さんがいい、と。」 相談した長野県の住職から、2体の地蔵が届いた。1体を仮庁舎がある大槌小学校の前に、1体を小向さんのいる仮設住宅に置いた。「次の日、お地蔵さんの前に平らな石が置かれ、その上にお花とお茶が置かれていた。そしてお地蔵さんの後ろに『復興地蔵』と書いた紙が貼られていました。数日後、その紙が風で剥がれてしまうと、違う人が復興地蔵と書いた木を建ててくれた。最初に書かれた紙は捨てないでお地蔵さんの脇に置いてくれていた。思いは皆、同じでした」。その後、長野の住職は新潟の石工に依頼して50体の地蔵を大槌町に寄贈し、町内の48の仮設住宅すべてに復興地蔵が置かれた。次に行ったのは、仮設住宅への見廻りを兼ねた野菜の移動販売と、キッチンカーでの食事販売だ。「見廻りも兼ねて。お年寄りも独り者も多いので、買い物も炊事するのも大変な時期でしたから。やきそばやすいとん、豚汁を1杯百円で。野菜もだいたい1袋百円。原価ですね」。ついでに病院や役場などに送迎もした。みな、どれだけ助けられたことだろう。また避難所のお母さんたちを集めて大槌町のキャラクターである「おおちゃん」人形を作り始めた。ネットで販売し、対価を払う。

ビジョン

ぐるっとおおつちが今、準備しているのは、大槌町物産館「ぐるっとふれあい館」の開業だ。

地元の農産物や海産物の直売所、手工芸品の販売に加え、体験工房や、子どもたちの遊びや学びの拠点も作る。大槌の新しい物産品開発も行う。「被災地ツアーで大槌を訪れる人も徐々に増えています。大槌のお土産をたくさん買ってもらって、大槌のみんなを元気にしたいんです」。すべては大槌の人のために。少しでも収入に、少しでも元気に、という思いで、小向さんたちは、挑戦を続ける。